平和を願うという選択
- Mitsuhiro Kubota
- 2025年12月14日
- 読了時間: 3分
更新日:2025年12月16日
カンボジアから、タイとの関係を想い続ける
最近、カンボジアとタイの関係について、
ニュースやSNSでさまざまな言葉が飛び交っている。
実際に亡くなられた方、怪我をされた方、避難されている方もいるので これはなかなか 尋常ではない状況です。
私は政治の専門家ではない。
どちらの国の立場が正しいかを断定できる知識も持っていない。
ただ、ここで働き、暮らし、人と日々を重ねている一人として、
どうしても黙っていられない感覚がある。
それは、
争いよりも、平和を選びたい、という感覚だ。
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私の毎日は、とても静かだ。
養殖場では水の状態を見て、魚の様子を確認し、
スタッフたちは家族の話をしながら仕事をしている。
彼らが気にしているのは、
国境線ではなく、水温や天候や、
今月の収入で家族が安心して暮らせるかどうかだ。
タイであっても、カンボジアであっても、
現場で汗を流す人たちの願いは驚くほど似ている。
「普通に働いて、普通に暮らしたい」
それだけだ。
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対立は、簡単に煽れる。
恐れや怒りは、あっという間に拡散する。
けれど、信頼は違う。
人と人が、時間をかけて関係を積み重ねなければ生まれない。
私はこの国で、
国籍も言葉も違う人たちが、
黙々と支え合って生きている姿を何度も見てきた。
だからこそ思う。
今、必要なのは
「どちらが正しいか」を叫ぶことではなく、
これ以上、誰の暮らしも壊さない選択ではないかと。
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正直に言うと、
世界で戦争が起きていることを考えながら、
同時に自分の膝の痛みや体調のことも心配している。
人間とは、そういう存在だ。
大きな悲劇を前にしても、
自分の身体の小さな違和感からは逃れられない。
でも、それは冷たさではない。
生きているということの、正直な姿だと思う。
もし、身近な痛みに無感覚になったら、
きっと他者の痛みにも鈍くなってしまう。
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平和は、声高に叫ぶものではない。
毎日の中で、守り続けるものだ。
怒りを増幅させないこと。
誰かを単純な「敵」にしないこと。
小さな日常を丁寧に生きること。
それらはとても弱く見えるかもしれない。
でも私は、
それが社会の底を支えている力だと信じている。
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争いの中で一番傷つくのは、
声を上げる力を持たない、普通の人たちだ。
だから私は、ここカンボジアから、
平和を願うという選択をし続けたい。
対立ではなく、対話を。
怒りではなく、理解を。
この選択が、世界をすぐに変えるとは思っていない。
それでも、
美しさが消えないように生きることはできる。
それが、私にできる唯一の関わり方だ。




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